音楽鑑賞をしよう! 〜裏旋律、低音を楽しもう〜

雪国からこんばんは。

北海道は札幌市、連日の雪により完全に根雪となりました。私の通う高校も先日終業式、冬期講習を終え、私自身もすっかり年末モードに入っております。ここで、今年一年を振り返りたいところなのですが、それはまた後日ということで。そろそろ本題へ移りたいと思います。

 

音楽鑑賞

音楽がより身近となった現代、電車に乗れば、イヤホンで曲を聴いている人が一人はいるような時代となりました。私が電車に乗り、そのような人を見かけると、あるを質問したい衝動に駆られるのです。

それは、「何を聴いているのか」ではなく『どのように聴いているのか』ということです。音楽には数えきれないほどのジャンル、演奏形態があります。(ジャンルで言えばクラシック、ジャズ、様々な民族音楽、歌謡曲、JPOP、ボーカロイドなど、演奏形態で言えば管弦楽、吹奏楽、バンド、コンピューターなど)私も、赤の他人がどのジャンルの、どんな曲を聴いているのか、このことにはなんら関心はありません。しかし、どのように聴いているのか—このことには非常に興味があるのです。

人はその曲の主旋律、メロディラインに関心があり聴いている場合がほとんどかと思います。しかし、音楽の構成要素は主旋律だけではありません。副旋律、ベース、装飾旋律、リズム楽器などが合わさって初めて一つの、”いつもの”音楽になるのです。実際、どれか一つのパートを抜いて聴いてみると、確かに違和感を覚えます。しかし、主旋律を聴いている人はいても、副旋律、ベースなどに意識を集中させている人はほとんどいないでしょう。試しに毎日自分が聴いている曲を想像してみてください。主旋律は何のことなく口ずさむことはできても副旋律やベースは難しいはずです。しかし、これは当然のことなのです。楽曲は主旋律を最も目立たせるように書かれています。言い換えれば、主旋律を目立たせるために副旋律やベース、リズム楽器があるのです。しかし、見方を変えると主旋律を際立たせるための作曲者の工夫や味が副旋律やベースにはあります。実際、作曲者はメロディラインよりむしろこちらの方に時間と労力を割いているのです。せっかく作曲者が時間と労力をかけてつくったものを受け流す—これほどまでにもったいないものはないでしょう。

私たちにとってこれほどまでに身近になった音楽ですが、私を含めほとんどの人が音楽を表面的にしかとらえていなく、ただ単純に何百回も聴き流しているにすぎないのです。

では、これを機会に「音楽を聴く」ではなく『音楽鑑賞』をしてみてはいかがでしょうか。音楽を聴くことと音楽鑑賞は似て非なるものです。「音楽を聴く」は表面的に捉え、気軽に音楽を楽しんでいることを指します。これに対し「音楽鑑賞」は音楽の内側まで捉え、その曲を総合的、包括的に楽しむことを指します。故に、音楽鑑賞をする時は、曲に意識を集中させ、じっくり感じ、味わうことが大切です。

あくまで私個人の意見ですが、音楽鑑賞に最適なのは「ウィーン古典派の作曲家(ハイドンモーツァルト、ベートーベン等)の作品だと思います。」特にウィーン古典派三大巨匠と称される「ハイドン」「モーツァルト」「ベートーベン」の作品は深みあり、何度繰り返し鑑賞しても新鮮みがあります。

「クラシックは敷居が高い」という方には、吹奏楽のマーチ等を鑑賞しても良いかもしれません。マーチは副旋律がはっきりしていて、鑑賞していると思わずにやけてしまうような部分も数多くあります。

普段、身近にあるものの見方を変えることで新たな発見が生まれ、そこに楽しみやありがたみを感じる。このことは万事に通用するものであり、私たちが最も大切にしなければいけないものなのではないでしょうか。

改憲は必要か

約3ヶ月ぶりにブログを更新します。この3ヶ月間、(良い意味で)鬼のような忙しさによりtwitter、LINE等をする時間があまりありませんでした。「やらなければいけないことがあるということがどれほど幸せか。」このことを身にしみて感じる今日この頃でございます。

さて、話題を変えまして、季節は秋から冬になり、ここ北海道札幌市もこの1週間ですっかり雪化粧をしてしまいました。これから本格的な冬に向けて気をつけなければならないのが、インフルエンザですね。特に、受験生にとって風邪は一番(?)の敵です。体調管理は基本中の基本です。本番を棒に振ってしまわないように、しっかりと管理しましょう。前置きが長くなってしまいましたが、そろそろ本題に入りたいと思います。

 

改憲は必要か

来たる12月14日は、衆議院総選挙の投票日です。与党自民党の約2年間の真価が問われる重要なものとなるでしょう。今回の選挙の一番の争点は「経済」です。しかし、忘れてはいけないのが「憲法」についてです。

 

最初に結論を言うと、私は「憲法改正は必要」だと思っています。

今の日本国憲法は、1947年5月3日に施行されて以降、一度も改正されていません。言い換えると、約70年前にGHQ連合国軍最高司令官総司令部)の指導により作成された憲法のもとに国家が運営されているということです。

例えば、戦後の憲法改正の回数のみを比較すれば、アメリカは6回、カナダは16回、フランスは27回、ドイツは50回以上、イタリアは15回、韓国は6回改正しています。ですが、国政によって憲法の定義、重要性が異なるため、単純比較によって論ずると、論に脆弱性が生じます。ただ、唯一わかるのが、先進国において、先の大戦以降改憲を行っていないのは日本だけであるということです。

私は時代に合わせて憲法は変える必要があると思います。先述のように、日本国憲法は約70年前の憲法なのです。約70年前のものが、日々めまぐるしく変化する現代の世界情勢、環境に適応できるかというと、答えは否だと思います。立憲国家において最高法規である憲法が約70年前のものであっては、国の発展を妨げてしまう可能性だってあります。

しかし、世の中には、憲法改正、特に憲法9条改正に対して、否定的な意見を持つ人は少なくありません。「平和憲法である9条があったから、戦後70年間日本は一度も戦争をすることがなかったんだ。」とか、「憲法9条を改正することにより、日本は再び戦争ができる国になってしまう」とか、「軍国主義への道を進むこととなる」このように言う人たちがいます。私自身、世界から戦争や核がいち早くなくなることを願っています。このことは、右派であろうと左派であろうと同じことだと思います。しかし、現在の日本を巡る世界情勢は、約70年前のそれとは異なります。韓国軍による竹島不法占拠や尖閣諸島を巡る領有権問題。中国軍の強大化、中国漁船の珊瑚密漁問題など、いつ他国と戦闘状態に陥ってもおかしくない状況下にあります。「第三次世界大戦の火種はクリミア半島極東アジアにある」と唱える学者もいます。このような状況下にある日本において、憲法9条は元より、憲法全体を見直す必要があると思います。来年2015年は終戦から70年の節目の年になります。これを機会に、一度国家改造をしなければ、近い将来日本は再び戦争の惨禍に見舞われてしまうでしょう。

最後に

日本は先進国であり、世界のリーダーとなるべき国なのです。その国の国民として、世界に目を向ける、政治に関心を持つ。また、自国、他国の歴史を正しく理解し、何を守り、何を断じなければならないのかを深く考えることが、私を含め、今の若い世代にとって最も必要なことではないでしょうか。このことは、日々の人間関係においても、大いに役立つでしょう。

 

P.S.

ブログに書きたいネタは腐るほどあります。(ありすぎて腐ったものもあります笑)暇があり次第、随時更新していきたいと思います。

プチ贅沢が日本経済を救う

バブル経済崩壊後、日本経済の活気が失われつつある中、それに拍車をかけるように起こった2008年のリーマンショック。これにより世界経済は不況を迎えることとなりました。しかし、ここにきてようやく日本経済、世界経済が回復の兆しを見せ、9月23日現在、1ドル108円。日経平均株価は16000円台と、徐々に日本経済は活気を取り戻しつつあります。

前置きが長くなりましたが、「プチ贅沢が日本経済を救う」とタイトルにあるように、今回は経済の話をしたいと思います。

「プチ贅沢」とは、その名の通り、普段の生活の中で、ちょっとした贅沢。いつも買っているものよりも1割2割程度高いようなものを買うこと。という風にここでは定義したいと思います。ニュースなどでもこの「プチ贅沢」というワードを見かけることがあると思います。そのプチ贅沢が日本の経済を救うとはどのようなことなのか。

近年、節約(金銭的なもの)が流行し、家計の中でなるべく支出を抑え、万が一の時の貯蓄に回そう。といったことが、たいていの家計で今も行われていると思います。確かに、将来に備えて貯金することは否定できません。しかし問題は「支出を抑える」ところにあるのです。

お金の流れが滞ってしまえば、経済は衰退します。お金の流れを良くすることにより、経済が活性化し、日本経済の世界での影響力を大きいものにすることができます。

先の大戦終結後、戦後復興を掲げ、日本国民一丸となって日本を復活させようと日々努力し、高度成長期を迎え、1968年には資本主義国世界2位の経済大国となりました。しかし近年、名目経済成長率を中国に抜かれ、BRICsVISTAといった国々の成長がめまぐるしい中、日本を含む先進国の世界経済での影響力が徐々に失われつつあります。これは仕方のないことです。しかし、ただ見て見ぬ振りをするわけにはいきません。日本が50年、100年後も経済大国であるためには、日本国民一人一人が一致団結し、身の回りにある小さなことから変えていかなければいけません。では、具体的には何ができるのか。その問いの答えの一つとして、プチ贅沢があります。

例えば、少し高い日本産の食材を買ったり、日本製品を買うことで、生産者側の日本企業にお金が入る。そうすることで企業収益がアップし、従業員の給料のアップにつながる。収入がアップすることで更なる支出が見込める。こういった具合にうまくいくほど経済は

単純ではありません(笑)

 

なぜなら、企業が従業員への給与額をアップさせなければ、いわゆる「金持ちだけが儲かる」状態になってしまいます。また、収入が増えても、政府への不振、社会情勢への不安を払拭しなければ、その収入が貯蓄に回ってしまうでしょう。こういったことは、個人単位ではできないため、国民の代表者で構成される国会で対策案をねってもらう必要があります。

しかし、プチ贅沢が無駄。という訳ではありません。日本経済が上向きになりつつある今、この勢いを強くする絶好のチャンスであると言えます。その推進力となるのが「プチ贅沢」と言えるでしょう。

 

無論、贅沢するためには努力が必要です。この「努力」こそが、先進国の地位に甘え、働き、学ぶことを忘れた日本国民に最も必要なものではないのでしょうか。

 

ブログを始めた理由

この度、ブログを始めることとなりました。


TwitterFacebook、LINEなど、次々と新しいメディアが増える中で、何故、あえて言うならば旧世代である「ブログ」を始めるに至ったのか。

半年程前からTwitterを始め、いろいろなことを「つぶやいて」きましたが、Twitterには140字という文字制限があります。

「手軽さ」という方面から見た場合、この文字制限があることで更新のしやすさであったり、また運営側からしても、データ量を減らすことができるので、より多くのユーザーに提供できるという強みを持っています。しかしその反面、自分の主張の本意を文章化し、それを他人と共有するためには、140字という文字数はいささか少ないように感じます。

そこで思いついたのが、このブログという手段でした。

ブログならば、そこそこ長い文章を書き込め、またデータ量の大きいものを添付することができるなど、一つの作品を作ると考えれば、これが最適なメディアだということに気がつきました。

話が長くなりましたが、本ブログでは、TwitterやLINEでは発信できない情報や、興味のない方からしてみればうざったらしい長い文章などを週一程度のスパンで書き込んでいきたいと思います。

どうぞよろしくお願いします。m(._.)m